活字嫌いのくせに趣味で文芸をしています。21年10月の文フリ札幌でよせばいいのにたくさん本を買いました。本の虫な方々からすれば少ないのでしょうが、活字嫌いにしてみれば本を買ったというだけで快挙です。
さて前に読んだ(正確には読みきっていない)「ほくたん」第9号で私は「短歌の本には文章がたくさん載っている」ということを学習しました。ちょっと考えてみれば、そらそうなんですが。なので今回は相応の覚悟を決めてから本を開くことができました。
『Trois Fleurs -トワ・フルール-』(以下「トワフル」)第20号は特集としてコロナにまつわる短歌をみんなで作っていました。知っている言葉があってありがたかったです。ただしこれは私が悪いのですが、キャッチーなキーワードが色々な用いられ方で出てくるので次第に混乱してきました。31音あるだけあって情報量が多いので、ほえ~という前に整理が必要です。そこが味わい深いポイントなのかもしれません。活字は嫌いだし短歌は初心者なのでどういう心構えで読んだらいいものか模索中です。
「トワフル」20号ですごいなあと思ったのが、連載があること。そして一貫したテーマがある連載でうまいこと「震災」という2021年ならではの話題を扱っていたところです。前半の斎藤茂吉の話と後半の震災の話のつなぎが活字弱者には分かりませんでしたが、自分も『砂時計』第3号で震災にまつわるエッセイを書いたところでしたし、ほほ~となりながら読みました。
後半の話では、三原由紀子さんの「極私的十年メモ」という作品を取り上げながら震災を時系列順に振り返っています。三原さんの最後のしめくくりを引用する前に、連載の筆者である内田弘さんは総括として「記憶を風化させないこと」「美化させない」の二語をかぎかっこの引用で取り出しています。
風化させない、はよく言いますが、美化させない、というのは難しいですね。人間都合よく記憶を捏造しだすのは活字の好き嫌いによらないと思います。気をつけなければいけませんし、既に美化された記憶しか持っていない場合もあるので、色々と読んで検証していかなければいけませんね。
色々読んで、ね。やっぱ活字嫌いの方が記憶の捏造率が高いかもしれません。
フィーリングですが、斎藤茂吉と震災の繋がりは「どう記憶を読み継ぐか」だったと思います。判官贔屓な記憶ばっかりが読み継がれなければいいなと思います。
連載はもう一つあり、万葉集の話をしていました。活字嫌いなので少しでも少ない量読んで内容を理解したいところですが、最後だけ読んだらなんか怒られていました。具体的に活字嫌いはどうしたらいいですか?間を開けてもう一回読んでみようと思います。
最後に、案の定まだ全部読みきれていませんが、現時点で読めた範囲で好きだなと思った短歌をご紹介します。
十分間浸けた時間を空にして吾はカラフルマスクを洗う(宮沢雅子さん、題詠「新型コロナウィルス」より)
消毒の浸け置きでしょうか。時間を空にするっていうのがコロナ禍のがらんとなにも残らない感じがします。あとマスクってこんなに世の中カラフルなものがあるんだなって思いましたね。
上空に鴎の飛び交ふ墓地なりて白鳥大橋湾に浮かべり(稲澤壽美子さん「濃霧の室蘭」より)
セーリングをしていた時に室蘭はよく行きました。自分が墓地にいて鴎と橋を見ているのかもしれませんが、パッと見勝負の活字嫌いは白鳥大橋が墓地なんだと思いました。橋の柱がぶっ刺さっている海の底には何が眠ってるんでしょうか。
ため息の前に冷たい息を吸い昆布を鍋の真水につける(大塚亜希さん「予報士と春」より)
こんぶをつける水も冷たいですもんね!真水ってわざわざ言っているのがドアタマのため息と合わさって落ち込んでる感マシマシです。水炊き食べて元気だそうぜ!
仲違ひしたひとがゐて片方の靴下にだけ穴の空きたり(千葉優作さん「わけないだらう」より)
仲違いの居心地の悪さに加えて靴下に穴なんてツイてないですね。仲直りで謝るのも穴が空いた方なような気がします。たぶん作風のアレなんでしょうけど〆が仰々しく文語なのが畜生キレるぞというテンション感あると思います。
だれか俺のこころに服を着せてくれ着膨れてつくづく裸だこころは(月岡道晴さん「いろえんぴつのにほひ」より)
こういう宮本浩次(エレカシのやかましいボーカルの人)みたいな生き方憧れますね。憧れるだけで実行に移さないやつです。既に着膨れている服は、頭のだれかを考えると自分で着たんですよね。図々しいですね。
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